【著名な投資家|フィル・フィッシャー】
フィル・フィッシャーは、投資のシャーロック・ホームズと称されるように、調査を尽くして成長株を探り当てて巨額の富を築き上げた投資家である。
1907年9月8日、フィル・フィッシャーは米国で生まれた。父親は外科医だったが、お金より患者の人間性を重んじて治療費をディスカウントすることもあったため、収入面では中流だった。
フィッシャーは12~13歳のころに株式市場に興味を持ったが、株とは成功しそうな企業を選んで金儲けができる一種のゲームのようなものと捉えていたとのちに語っている。
成績優秀だったフィッシャーは、15歳で大学に入学した。そしてその数年後にはスタンフォード大学大学院に進み、経営コンサルタントに師事している。
大学院の教授のひとりであるエメット博士は、毎週水曜日に学生たちとともにさまざまな主要工場を訪問しては経営者に企業方針や経営手法などをインタビューする、という授業を行っていた。このような授業を通して、フィッシャーたちは成功する企業について学んでいった。
1931年、フィッシャーは証券アナリストを経て、自ら投資顧問業を始めた。当時は大恐慌下にあって株式市場は数年にわたって低迷を続けていた。
株価が急落する中、彼はあるひとつの銘柄に注目した。大学院時代にエメット博士のインタビューにより好印象を抱いていた企業だった。その会社の経営状態が良好なことを知っていたフィッシャーは、株価が50ドル付近から4ドルまで下がったところを大量に購入した。その後、無事に不況を脱して株価が回復したことで、巨額の利益を得ることができたのだ。
彼の投資スタイルは、超成長株を長期保有するグロース投資だが、投資先を決定するときは企業関係者を訪問してナマ情報を聞き込み調査して、その企業が本物かどうかを見極めるようにしていた。もちろん、その企業の最高経営幹部とも会って経営状態から研究開発までを聞き、入念に調査したうえで投資するようにしていた。
なお、フィッシャーの息子のケン・フィッシャーもファンド・マネジャーになりフォーブス誌(世界有数の月刊経済誌)の「ポートフォリオ戦略」というコラムを長年にわたって執筆している。また、孫のクレーも若い投資家向けの本を執筆するなど、3代にわたって市場において活躍している。
参考文献:『株の天才たち』 ニッキー・ロス 著