澤上篤人

[ スポンサードリンク ]

[ スポンサードリンク ]

【著名な日本人投資家|澤上篤人】

澤上篤人は、長期投資を行う独立系投資信託で有名な「さわかみファンド」の生みの親であり、現在もさわかみ投信株式会社の代表取締役会長兼、最高投資責任者として敏腕をふるっている。

 

1947年、澤上は愛知県名古屋市に生まれた。その後、父親が製材工場を営むために小学1年のとき長野県に移り住んでいる。

 

高校3年のとき父親が亡くなり、一転して貧しい生活に陥ったため、澤上は大学時代に46種類ものアルバイトをして実家に仕送りをしていた。そうした経験から、貧しいながらも頑張る人々が楽しく生活できる社会を作りたい、という願いを抱くようになったと語っている。

 

大学ではサッカー部のキャプテンとしてリーダーシップを発揮しながら学業に励んだ。また、ラジオ講座だけでフランス語を習得するなど、大変な努力家でもある。その語学習得にかかった費用は、講座のテキスト代のわずか900円だった。

 

3年までにすべての単位をクリアし、4年時にはバックパッカーとなってヒッチハイクしながら、「なんでも見てやろう」という好奇心を抱いて欧州や中東、アジアなど世界中を旅して回った。

 

大学卒業後、松下電器(現パナソニック)に就職するが、上司と折り合いが悪く1年弱で退社。1970年にスイスの大学院に留学し、政治経済を専攻した。

 

スイスの大学院在学中に投資運用会社のスイス・キャピタル・インターナショナルでアルバイトを始めた澤上は、多くの有能な社員たちに影響を受けて熱心に働き、3か月後には正社員に昇格してしまった。そして休日返上でがむしゃらに働き、4年ほどでアナリストからファンドアドバイザーに登用された。

 

スイス・キャピタルで長期投資の手法を学びながら、世界中から集まった有能な社員たちが威張ったり能力をひけらかすことなくひたむきに仕事に励んでいる姿を見て、人間としてお手本となるスタンスも同時に学んだと語っている。

 

日本に帰国後、山一證券でアナリストやファンドマネージャーの育成を委嘱される。しかし、会社の古い体質が合わず、4年後に退社。

 

1978年に投資コンサルティングを行う「澤上事務所」を立ち上げる。いくつかの会社とコンサルティング契約を結んだ。1990年にはその中のひとつ、ピクテ銀行というプライベートバンクの日本法人代表に就任する。

 

1996年、「さわかみ投資顧問」を設立。純資産が2400億円、顧客数11万人を超える。国内において長期運用のパイオニアとして、現在も多くの信奉者たちから熱い視線が注がれている。

 

参考図書:『金融の本領』  澤上篤人 著

[ スポンサードリンク ]

[ スポンサードリンク ]